2012年5月4日金曜日

4/28、4/29まとめ

ちょこちょこ荷物を片付けつつ 午後
Miyaviと最後のとき
絵を描いたカードと手紙をくれた
絵をもらうのはほんとうに嬉しい やっぱり その 描いている時間が愛おしい
それを想像して うれしさがこみあげる
去りがたい けど 笑顔で また台湾にきてね!って うんって!

その後 ロベッタ ケミーらと一緒にTHAVへ
今日は最後の仕事
台南からきた美大生のクラスに 私の活動をプレゼンテーションするのだ(英語で)
昨日からうんうん考えて なんとかブロークンイングリッシュを完成

プロジェクターで写真などみながらの プレゼン
そもそもプレゼンテーション 言葉で語ることは苦手なのだけど 最近は ただ絵を描いているだけでなく パレードや 滞在制作など 絵のまわりで起こる出来事があるから
やっぱりそれは 言葉で語りたい 出会ったひとのこと 感じたこと など
わたしの体験を語ることをしないと 成立しないなあ と思っています そしてやっぱり そういうことは 話したい! だって すごいことがいっぱい起こる
ただ 英語なので はちゃめちゃ それがもどかしーーーっ
でもみな真剣に たまに笑いながら聞いてくれた
最後 質問コーナーになったとき 絵の内容について問われたんだけど
これはまったく上手く 答えられなかった
わからないんだ 本当に いや わかっているんだけど それは言語以外の感覚でわかっているわたしの中の必然であって 説明することはほとんどできない
でも そういうことも含め さすがファインアートのコースの学生達 わかってくれました

そのあと みなで 私の展示の撤収作業
あっというまにはがされていく中国語
あっというまに元の白い部屋に戻る
作品を梱包して おわったなあ というきもち 皆が手伝ってくれたから わいわい
悲しくなることもなく そのままTAVの私のスタジオへゴー!!
今日は最後の夜 わたしのスタジオで パーティだぜええええ
沢山のスタッフ 仲良くなったボランティア アーチストがきてくれて
料理をもちより たのしい
ふと一歩ひいて眺めたとき やっぱり 榕樹の下でみなが集うイメージと
これまでたくさんの人とこのスタジオで遊んだ その集大成の日 みたいで
猛烈に感動する
3ヶ月前 ひとりでここにきたときと今 自分の中身が変わっていることの実感
たくさんのひとに出会って 新しい部分を刺激され 懐かしい不変のものを確認し直し
これまで考えてみたこともなかったことに目が向いて
この先歩いていく道に新しい光
結局じぶんの生きることは なにもかも自分で決めて行く
根本のところで 孤独でしかなにかは成せない と覚悟をきめることさえできれば
人に出会うこと 悩むこと こんがらがること 全部 エネルギーに変えていける!
それは 私と同じように 他の人も 個人で ひとりきりで 生きていこうとしているという 一番大きな視点での共通点をみつけることができるから
個人のレベルで考えられ 実行されることに 無意味なことや 間違ったことはないと思った 最初はいつだって 真摯な想いから出発している それが こんがらがった愛情や嫉妬なんかだったとしても その感情自体が間違いなわけではないし
人は 他人のそういう感情を注意深く見れば 必ずわかる 

問題は 個人の意識のはなしが いつのまにか集団の意識で大きくふくらんで だれも責任をとれないくらい勝手に進んでいくときであって
それを解きほどいて理解することはとてもむつかしいけれど
やっぱりそのとき 個人の感情 ひとりひとりにフォーカスを当てるやりかたでものをみる ということが 糸口になるはずだ
いつも思っている アーチストが 個人としてだれとでも出会い 考えることができて
自分も いつまでも個人としての真摯な考えをつらぬきながら 作品というものの力によって それを大きく遠くへとばすことができる存在である こと
忘れない
孤独を背負って その力によって作品をつくりだし 先へつなげていく
なぜ作品を作りたいか 遠くへとばしたいか というのはよくわかんない
そういう押さえきれない気持ちが強くある から こういう生き方をしていこうと思うのだろうなあ

ここ数年の どこかに住む そこで日常らしきものを送りつつ 非日常の行為 絵 を描く その場所で人と出会う そして知る 見る 変わる 集大成として絵をつくりあげる
という流れで いろいろなことがわかってきた
絵は 作品は やっぱり 最終的には 個人の弱い戦いへの励ましのためにある!
どんな生き方でも それを否定することはできなくて 具体的な支援はできなくても
その人がひとり きちんと生きて行けるよう 光をあてること
それが 芸術の役割です

そのためには たくさんのひとの目にふれなくてはいけないし
たくさんのものがあふれている中 わたしの小さな戦いに気がつかないひとも沢山いるだろうから おーーい!って手を振って みてもらえるような試行錯誤が必要
沢山の人が 芸術を信じて 自分の立場からなにかをしようとしているのだから
そのひとたちと協力していくことができるんだ!
まだまだ もっと 人に出会っていきたい
スタジオ埋めるくらいのひとが集まって それぞれ本気の光を放つ
それをみてみたーーーい!

わいわい遊んで 爆笑して アーチストとは 今後の話もして
最後はみんなに 似顔絵付きお手紙をあげて
さようならした
いろいろなことを引き受けてくれたホストスタッフのSandyにとても感謝しています
ずっとサンディのことが気になってみてた 考えてた
遠くに思いをはせているような視線とか 今美しいものに自分なりに接する態度とか その両極のものをもっている とても素敵な女の子
ずっと いろいろおしゃべりしたかったけど 英語力不足のせいでなかなか切り出せなかったんだけど 一緒に台南に行った時 同じ部屋に泊まってて
朝 ホテルで朝食をとってるときに ふと ふたりきりではなしができたときがあって
そのときのことは忘れない 一生思い出して 燃料となりつづけるような記憶です
サンディのこれからのことを聞いたら 今年の夏でTAVを退職するということ
そして大学院に行き直すということ そのあと ヨーロッパにいきたいと思っているということ アートが 一部のひとの高額取引の対象ではなく もっとひとりひとりの人間に近いところにあるようにしたい そういう仕事をしたいと言って
「だから ちえのパレードの作品も好きなんだ」と言ってくれたとき めちゃくちゃ嬉しかった 
孤独なひとりひとりの作業の中 また出会えて 一緒になにかをすることができたらいいね と言った
 こういう瞬間によって わたしはあと30年はがんばれる!と思った

4/29
帰る日 朝から荷物を片付けて 壁にはられていた中国語を 丁寧にはがしていく
すっからかんになったスタジオも 昨日のわいわいの気配と 三ヶ月の経験がつまっていて 寂しいとは思わない
ロベッタとミーチとウィリアムとテミーと 写真とって 最後までわいわい 遊ぶ
空港まで ウィリアムとテミーが一緒にきてくれて 荷物ももってくれて
水戸黄門一行みたいに頼もしい
空港で 最後 お金をつかいはたすべく レストランに入り 150元もするタピオカミルクティーを飲む うまーい
風邪ひいていたのに シカダも途中から見送りきてくれて 手紙もくれて ほんとみんなやさしいのう
ゲートをくぐるぎりぎりまでわいわいして じゃーね!っていって
ひとり 出国したとたん あ…もうでちゃった とハッとなって
もう 明日から台湾にいない という実感が わかなくてのみこめなくて
寂しいけどなんかわかんなくて ぼーっと飛行機を待って座ってた
搭乗して 席に座ったら 窓から ほんと!台湾にきてこんなきれいな夕焼けみたことない!(いつも曇ってる)ていうドラマチックな夕焼けが広がってて
目がカッと開いた
で あたまもパッカーンとひらいて なにもかもを腑に落とした
夕日の沈む速度は速い
刻一刻と色が変わる空 めちゃくちゃ綺麗で 感動して でもこれがどんどん終わって行くのもわかってて それが寂しくて 明日もまた 夕日はみられるかもしれないのに
でもどうしようもなく寂しくて ひとりで泣いた
また会えるっていう想いと 今が終わる寂しさで この瞬間が輝くのだなあ
人は毎日 夕焼けをみて 毎日寂しく 毎日感動できる
何万年も続いてきたこの 夕日をみたときのわき上がる感情を
明日もこれからも 続かせたいと思う

飛行機が飛び上がって みなれた建物がすごいはやさで大きさを変えたとき
地上にいたときに思うことと 飛び上がったときに思うことが同じくすごい早さで変化していくのを感じた
同じものをみても その距離で 感情も伸縮している!
そのことにまたえらく感動して とうとう街がただの光になったとき
今度は遠くの黒い雲に 稲妻が走るのをみた
ピンクオレンジの閃光が 光る
また新しくびっくりして目が離せなくなった
一瞬光ってすぐ消える稲妻
その残像にこころゆさぶられて じっと目をこらしていつまでも見てた
そのあと 飛行機は雲の上にでて 夜だけど 山脈みたいな雲の王国
しばらくみて 遠くの雲の中にまだ稲光があるのもみて
しばらくは 機内食食べたり 休んでた
まもなく東京に着陸 というとき 飛行機の電気が消えて 外の景色が見えた
すすすごい! どこまでいっても光
地平線のむこうまで ずっとつづく 人の気配
これだけのひとがここで暮らしていて 台湾でであったひとと同じように
日々の細かいレベルで考えたり笑ったりしていると 大きな視点から想像して実感することができた
感動して ずっと見る
こういう絵を描きたい 今日わたしが飛行機に乗って体験した一連の眺めと そこで起こった次々の感情 そういう絵を描きたい どうすれば描けるんだろう
最後はずっとそういうことを考えて 寂しいというきもちは エネルギーに変化した
見ること の作用で 何をできるか たぶんすごいことができる
そういうものを 作るため これからも生きていきたいと思います
渋谷!人!人!人!
 


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